衝撃の仏ベストセラー恋愛小説を映画化『シンプルな情熱』

立田敦子の「話題の映画を原作で深掘り!」 vol.1

2021.05.28

映画『シンプルな情熱』
映画『シンプルな情熱』© 2019 L.FP. Les Films Pelléas – Auvergne - Rhône-Alpes Cinéma - Versus production © Julien Roche

30年の時を経て映画化された
女性作家の性愛の記録

フランスでベストセラーになったアニー・エルノーの『シンプルな情熱』は、1993年に日本でも翻訳本が出るや否や大きな話題となった。女性作家が自分の性愛体験を綴っていることがセンセーショナルに報道させたせいもあるが、読んでみるとそのストレートに綴られた冷静な描写に衝撃を受けた。

小説『シンプルな情熱』
小説『シンプルな情熱』アニー・エルノー著、堀茂樹訳(ハヤカワ文庫刊)

冒頭近くでエルノーは「昨年の九月以降、私は、ある男性を待つこと――彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外、何ひとつしなくなった」と綴るが、実際にそれ以降は、異国の年下の、そして妻帯者の男性と恋に落ちた主人公が、恋が始まったその日からどんな毎日を送ったのかが、詳細に綴られる。一般に、恋したときの状態を「熱に浮かされたような」と表現することがあるが、エルノーは恋の情熱(パッション)の囚われの身となった自身を、始めから、そして情熱が消えていく様子さえも冷静に見つめ、克明に記し、分析する。恋は能動的にするものではなく、自分の意思にかかわらず「落ちて」しまうものだ。その本質を十分に知っている年齢であろう彼女は、まるで病に侵された作家が闘病記を綴るかのように、自らの体験を用いて、激しい恋に落ちたとき、人はどうなるのかを解き明かしてみせた。そういった意味で、本書は小説というより、告白書のようでもある。

エルノーが彼女の強い情熱の由来が性愛にあることを自覚していたことは、本書が画期的である重要なポイントだ。「シンプルな情熱」とは肉体的な愛であり、彼女はロマンティックな恋物語でも、ましてや恋の延長としての結婚でもなく、単純に性愛にのめり込んだと告白しているのだ。しかも、性愛にハマってしまった自分を知的に分析までしたのである。

映画『シンプルな情熱』
映画『シンプルな情熱』© 2019 L.FP. Les Films Pelléas – Auvergne - Rhône-Alpes Cinéma - Versus production © agali Bragard

アニー・エルノーがどんな作家なのか。そのプロフィールを簡単に紹介しておこう。1940年にフランスのノルマンディーで食料品店を営む両親のもとに育ったエルノーは、ルーアン大学を卒業後、結婚して2人の息子をもうけた。高校教師として働く一方、1974年に作家デビューし、父について書いた第3作『場所』でルノードー賞を受賞し、文学界で名声を得た。母について書いた第4作『ある女』に続いて上梓された第5作が『シンプルな情熱』である。純文学系の正統派の作家の“情熱の記録”が世間に衝撃を与えたのも無理はない。

ちなみに、同じように女性作家の自伝的な作品としては、インドシナでの中国人男性との性愛体験を綴ったマルグリット・デュラスの『愛人(ラマン)』も日本でも話題となったが、フランスでは『シンプルな情熱』は『愛人(ラマン)』と競うほどのベストセラーとなったという。

映画『シンプルな情熱』
映画『シンプルな情熱』© 2019 L.FP. Les Films Pelléas – Auvergne - Rhône-Alpes Cinéma - Versus production © Julien Roche

さて、30年前のこの話題作がついに映画化された。監督は、レバノンのベイルート生まれのダニエル・アービッド。戦争で荒廃したベイルートで暮らす少女を描いた初監督作『戦場の中で』(04年)、フランスの人気俳優メルヴィル・プポー主演の第2作『ファインダーの中の欲望』(07年)がカンヌ国際映画祭「監督週間」で上映された気鋭だ。「ずっとポケットの中に入れておいたほどお気に入りの小説」(公式プレス・インタビューより)という本作を、現代に合わせて脚色し、映画化を実現した。

小説との違いは、パリの大学で文学を教えるエレーヌ(レティシア・ドッシュ)が、パーティで出会った年下のロシア人男性アレクサンドル(セルゲイ・ポルーニン)との逢瀬にのめり込み、翻弄され、仕事も子育ても放り出し、夜も眠れぬほどの執着に疲弊していくさまを、エレーヌの感情に寄り添い描いることだろう。

けれど、そんな状態でもエレーヌは、自分を見失っているわけではない。情熱に自らが翻弄され、そしていつかはその熱も覚めることも知ったうえで、徹底的にその情熱と向き合おうとしているのだ。妻帯者の男の欲望の対象となった“犠牲者”ではなく、自らの意思で自分の欲望の深淵を覗こうとする、ある種勇敢ともいえる主人公の姿がそこにある。そういった意味で、なぜ30年後にこの物語が映画化されたのか、納得がいく。本作は明らかに#MeToo以降の作品なのである。

映画『シンプルな情熱』

(フランス・ベルギー/フランス語/2020/99分/ヴィスタ/5・1ch)
7月2日(金)Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
原作:『シンプルな情熱』アニー・エルノー著、堀茂樹訳(ハヤカワ文庫刊)
監督・脚本:ダニエル・アービッド
出演:レティシア・ドッシュ、セルゲイ・ポルーニン、ルー=テモー・シオン、キャロリーヌ・デュセイ
映倫指定:R18+配給・宣伝:セテラ・インターナショナル
© 2019 L.FP. Les Films Pelléas – Auvergne - Rhône-Alpes Cinéma - Versus production

Text: Atsuko Tatsuta
Editor: Kaori Shimura

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