「思いっきり笑ってないな」「心がかさかさしてる」そんなふうに自覚したら、大人向けの本をしばし脇において、こどもの本を開きます。読めない文字はないし、意味を調べないとわからない言葉も出てきません。すいすい読めます。けれど、心が閉じていたり、こわばっていると、大事なメッセージをキャッチすることはできません。目や頭で読むのではなく、“心で読む”という意識でページをめくると、こどもの本はベターアンサーの宝庫、思考スイッチの泉です。今回は、“心を元気にする”作用たっぷりの1冊をご紹介します。

Vol.5 『ありえない!』

「ありえない!」「ありえないんですけど〜」「ありえなくない?」この言葉、結構無意識に発していませんか? 私は正直言うと、よく発しています。決して、感じの良い言葉、と思っているわけではないのですが、とっさに口から出てしまうので、気づくと時すでに遅しです。特に2021年は、この言葉をぶつぶつと安易に発した気がします。そんなある日、書店巡りをしていたら、この表紙が目に飛びこんできました。今回ご紹介するのは、小さい頃、お世話になった人も多いはず。あの大ベストセラー『はらぺこあおむし』を書いたエリック・カールさん作の『ありえない!』です。

おいしそうな真っ黄色のバナナから、勢いよくひよこちゃんが誕生! ママカンガルーのおなかから、人間の赤ちゃんがひょっこり登場。鳥が水槽に、魚が鳥かごに。小さなボクサーが何倍も体が大きい巨漢のボクサーをパンチ一発で倒したり、飼い犬に捨てられた男が、のらニンゲンになってしまったり、上半身と下半身が性格の不一致で別れてしまったり……。ついクスッとしてしまう、ツッコミを入れたくなる「ありえない!」の連発なのです。

引きつる笑顔で逆立ちをしているのは人間。アメとムチでもって芸を教えている猛獣使いは、立派なたてがみのライオンです。このあべこべ感が次から次へと登場し、見ているうちにとっても愉快に。「いや、これ、ありえなくないかも!」という気持ちが湧いてきます。

指や筆で色を塗った紙を切り貼りして作られるエリック・カールさんの作品は、本当に豊かな色彩にあふれています。ビビッドで力強く、エネルギッシュ。目にも心にも楽しく、動物や果物や植物や人間も、生き生きしていて活力をもらえる気がします。見る者をポジティブにするこの作品力の源は、鮮やかな色のない世界、つまりエリック・カールさんの暗い戦争体験から生まれたことを以前どこかで読みました。人を真に元気づけるのには大変なエネルギーが要る、ということも考えさせられます。

原題は『THE NONSENSE SHOW』。ナンセンス、とは、無意味なさまや馬鹿げたことを意味しますが、これぞエリック・カール流のユーモアセンス。どれもこれも、まっとうな感覚で見ると「ありえない!」のですが、果たして“まっとう”とは一体なんでしょうか? あくまで自分が知っていて安心できる短い物差しや狭小な価値観だったりします。大人になればなるほど、凝り固まっていきがちな固定観念ですが、それを打ち砕き視点を変えるスイッチワードと出会い、心に刻みました。この言葉が「ありえない!」を「ありうる!」に転じさせ、ウエルカム「ありえない!」の境地へと導きます。ひもでつないだ大きな猫を引き連れた小さなネズミの捨て台詞。「ドラネコよ ありえないことが あるから このよは たのしいんだぜ」。

この11月には、エリック・カールさんの世界観をテーマにした国内初のインドアプレイグラウンド施設「PLAY! PARK ERIC CARLE」が二子玉川に誕生するようです。最近、縮こまり気味のプレイフルな感性を刺激しに、こどもに紛れて(もちろんこども優先!)訪れてみたいと思います。

『ありえない!』
作/エリック・カール 訳/アーサー・ビナード 刊/偕成社

著者のエリック・カールは、1929年アメリカ、ニューヨーク生まれ、ドイツ育ち。67年、『くまさん、くまさん、なにみてるの?』で絵本作家としてデビュー。今年の5月に91歳で亡くなられ、世界中の多くのファンが哀悼の意を捧げました。また、本書ではダジャレ的な言葉遊びも魅力のひとつです。活きのよいワード選びが素晴らしい翻訳は、詩人のアーサー・ビナードさんによるものです。

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Photos: ASA SATO Text: maikohamano_editforbookbar