「多様性ってなんだろう?」「私らしさって?」そんなことを考え悶々としたら、大人向けの本をしばし脇において、こどもの本を開きます。読めない文字はないし、意味を調べないとわからない言葉も出てきません。すいすい読めます。けれど、心が閉じていたり、こわばっていると、大事なメッセージをキャッチすることはできません。目や頭で読むのではなく、“心で読む”という意識でページをめくると、こどもの本はベターアンサーの宝庫、思考スイッチの泉です。今回は、“心を落ち着かせる”作用たっぷりの一冊をご紹介します。

Vol.7 『105にんのすてきなしごと』

お正月にすること、といえば、初詣やおせちを食べる、といったことを人並みにしますが、テレビでウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを見るのも、私にとっては新年の晴れやかな気持ちを徐々に盛り上げてくれる欠かせない風物詩です。年末のバタバタ期をようやく乗り越え、頭も体も省エネモードで、ぼーっとオーケストラが奏でる音楽を聴くのはなんとも心地良いおうち時間。前のめりで、そんなことに思いをはせていたら、この本を思い出しました。『105にんのすてきなしごと』という音楽が聞こえてきそうな一冊です。

ある金曜日の夕方。105人の男女があれこれ身支度をしています。シャワーを浴びたり、お風呂につかったり。男の人はひげをそったり、女の人はボディパウダーをふりかけたり。そして、みんな、お気に入りの下着を身につけて、男の人はタキシードを着てタイを結び、女の人は長めのスカートやドレスを着ます。デザインや素材はそれぞれ異なりますが、全員黒多めの+ちょい白の装いです。出掛ける準備が整い、105人が向かう先は?

ドレスコードは黒、といっても、ブラウス&スカートの人もいれば、ジャンパースカートの人、ロングドレスの人など人それぞれ。イヤリングやネックレスなどアクセサリーも自由につけて良いようですが、なぜかブレスレットだけは誰もつけていません。

この本を思い出したきっかけについては書いたので、薄々お気づきかと思いますが、この105人は、全員オーケストラの一員です。黒い衣装を身にまとい、それぞれが担当する楽器を持って家を出発。地下鉄やバス、なかには自家用車でコンサートホールへと集合します。そして、指揮者の合図とともに、それぞれの楽器が一斉に奏でられ、そこにひとつの音楽が流れ、多くの人を感動で包み込みます。

全員黒い装いと決まっていますが、奏でる音色はひとつとして同じものはありません。ですが、そのひとつひとつの音が重なり合って響き合い、ひとつのハーモニーが出来上がる。当たり前のことですが、よく考えると奇跡のようなことだと思います。最後のページまで読んで、また最初のページから読み返したくなるのは、十人十色、百人百様の身支度シーンを見直し、みんながそれぞれの場所で生活し、その人の人生を生きている、ということを再確認したくなるからです。

ダイバーシティ&インクルージョン、個の尊重、といった言葉が勢いよく飛び交う昨今。いつしか、全員黒いドレスコードのオーケストラに違和感を抱く時代が来るのでしょうか? しかし、黒にも無数の黒があります。単に色やカタチといった見た目で画一的に収まるほど、人間の個性は均一ではありません。実に多様なバックグラウンドをそれぞれが持っています。個性は、色や形を凌駕(りょうが)する。だからこそ、音楽に意識を集中させるユニフォームが必要なのでは?と思います。多くの個性がひとつの目標=美しい音楽を奏でる、に向けて心を寄せたときそこに生まれるのは……まるで個性の花束のような美しい音楽。そう考えると、躍起になって“個”をアピールするのではなく、自分の“しごと”をきちんとすることの大切さをしみじみ感じ、ざわついていた心が落ち着いてきます。

少ないページ数と文字数、すべてを見せずして多くを語る絵から、あれこれ考え深掘りするのも、大人が絵本を読む楽しみのひとつかもしれません。

『105にんのすてきなしごと』
文/カーラ・カスキン 絵/マーク・シーモント 訳/なかがわちひろ 刊/あすなろ書房

著者のカーラ・カスキン(1932〜2009)はニューヨーク生まれ。イエール大学を卒業後、詩や児童文学作品を発表。ご主人がオーボエ奏者だと知って、オーケストラのリアルな設定に納得です。絵は、『はなをくんくん』、『ぼくはめいたんてい』シリーズなど、名作を多く手がけるパリ生まれのアメリカ人、マーク・シーモント(1915〜2013)です。本書では、それぞれのキャラが立った105人を、実に細やかに描き分けています。

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Photos: ASA SATO Text: maikohamano_editforbookbar