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喪失から再生へと向かう物語。映画『やがて海へと届く』

立田敦子の「話題の映画を原作で深掘り!」

2022.4.15

映画『やがて海へと届く』 ©2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会

喪失にとことん向き合う、強さと優しさ

あまりにつらい出来事は、真正面から見つめることができるようになるまでにかなりの時間を要するものだ。それは、「つらさ」の大きさと比例するものなのかもしれない。2011年3月11日の東日本大震災は、10年以上経った今も、大きな痛みを伴う傷として、日本人の心に深く根づく。

彩瀬まるの『やがて海へと届く』は、その「痛み」から生まれた小説であり、その「痛み」を拭うことなく、味わい尽くすことで、「人を失うこと」にとことん向き合う勇敢な作家の結晶ともいえる作品だ。

都内のホテルの最上階にあるダイニングバーに勤めている真奈は、ある日、親友すみれの恋人だった遠野敦に呼び出される。引っ越しをするのですみれの荷物を整理し、“形見分け”をしたいというのだ。3年前にふらっと一人旅に出たすみれは、そのまま消息を断った。東日本大震災の日だった。生死の確認もできないまま月日は経ち、真奈はいまもすみれの死を受け入れていない。というより、すみれの死を受け入れることを徹底的に拒んでいる。すみれの死を受け入れ、新しい人生を始めようとする遠野やすみれの母に対して怒りを隠せない。

小説『やがて海へと届く』 彩瀬まる著 ¥704 講談社文庫

彩瀬の文体は軽やかで、時折、青春小説としてのすがすがしさを感じさせるが、本作のテーマは「喪失」である。そう一言で言ってしまえば有り体に聞こえるかもしれないが、この小説のすごさは、その「哀しみ」にフォーカスするのではなく、大切な誰かを失ったという事実を受け入れるようになるまでの、ある種、思考が停止したような感覚や、事実を認めたくないがためにもがき苦しむさま、誰にも向けられない途方もない怒り、虚無感などにとことん向き合っているということだ。

突然、目の前から消えてしまった親友のことを思い続け、深く深くその関係を見つめ、行けるところまでたどり着く。それから、やっとゆっくりと浮上することができる。ここまで喪失にともなう痛みに徹底的に向き合い、解体した小説はこれまで出会ったことがない。

映画『やがて海へと届く』 ©2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会

(以下、本文から引用)

だんだん私はわかってしまった。痛みは、ぬくもりに似ている。痛い痛い痛い、こんなに痛いんだから、きっと意味があるはずだ。繰り返し思ううちに、痛みは死者の体温へと変わっていく。痛ければ痛いほどいい。苦しければ苦しいほど、死者を近くに感じられる。忘れないでいられる。

(引用ここまで)

構成も独特である。14章からなるが、奇数章は震災から3年後の真奈の視点で語られる。回想するかたちですみれとの出会いや2人の友情を育んだ日々が描かれ、恋人だった遠野や職場での出来事から、真奈の意識の流れを描き出す。

偶数章は、語り手である「私」の視点で、夢、あるいは幻想のような抽象的な物語が語られる。事故や病によって生死の際をさまよった人々が生還したときに、「三途の川」に行き着くも、出会った誰かの言葉により、橋を渡らずに引き返したという逸話をよく聞く。この小説における偶数章は、感受性豊かな思春期をともに過ごし、深く共鳴し合ったすみれという存在を「向こう側」に行かせたくない、つまり彼女の死を認めたくない真奈が、死と生の世界をさまよい歩いているようでもある。

映画『やがて海へと届く』 ©2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会

実際にこの小説は、著者である彩瀬まるの強烈な震災体験に大きな影響を受けて生まれたものだ。彩瀬は、2011年3月11日、ひとり旅の途中で、常磐線の車内で被災した。2010年『花に眩む』で新潮社が主宰している第9回「女による女のためのR-18文学賞読者賞」を受賞し、新進作家として注目されていた時期である。地震、津波、原発事故。情報も食べ物もない状況下で、被災地で過ごした5日間の体験をベースにした、東日本大震災時の混乱を描いたルポルタージュ『暗い夜、星を数えて-3・11被災鉄道からの脱出-』も上梓している。

『やがて海へと届く』は、ひとつ違う道を選んだら、津波にのみ込まれ、帰らぬ人となっていたかもしれないという体験を小説に昇華させたものだ。真奈の暗い道をひとりで当てもなくさまようような孤独な心の旅のリアリティは、おそらくここから来るものだろう。

映画『やがて海へと届く』 ©2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会

映画化を手がけたのは、高校時代から詩人として注目され、独学で映画制作を学んだ中川龍太郎監督。「四月の永い夢」(2018年)ではモスクワ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞・ロシア映画批評家連盟賞特別表彰をW受賞するなど評価されてきた気鋭監督である。

湖谷真奈を岸井ゆきの、卯木すみれを浜辺美波が演じている。映像化され実像を伴った分だけ、2人の対比も鮮明になる。引っ込み思案で自分をうまく表現できない真奈と、社交上手で自由なすみれ。どちらもお互いを必要としている“片割れ”なのだと妙に納得する。

小説には登場しないビデオカメラをすみれに持たせたことで、映画では、彼女が残した映像を通して、2人が一緒に過ごした日々、そしてすみれの秘密が解き明かされていく。その使い方がうまい。小説では思考をさまよった言葉を映像に変換し、映画的言語で核心へと迫る。真奈は文字通り、すみれを探す旅に出るが、そこにはきらめくような光に彩られた風景が広がる。美しい自然は、ときに命をのみ込むほどの残酷さをはらんでいる。詩情豊かな映像は、言葉よりも雄弁にその事実を物語る。

はたして、「喪失」から人は立ち直れるのか。そもそも、立ち直る必要があるのか。さざなみのような余韻がいつまでも続く。

映画『やがて海へと届く』

TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中

監督・脚本:中川龍太郎

出演:岸井ゆきの 浜辺美波/杉野遥亮 中崎敏/鶴田真由 中嶋朋子 新谷ゆづみ/光石研

配給:ビターズ・エンド

©2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会


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Text: Atsuko Tatsuta Editor: Kaori Shimura