Culture

イタリアを代表するモレッティ監督の熟練の演出が光る。映画『3つの鍵』

立田敦子の「話題の映画を原作で深掘り!」

2022.8.26

映画『3つの鍵』 ©2021 Sacher Film Fandango Le Pacte

閉ざされた扉の、向こう側の人生

ナンニ・モレッティは、人生の痛みを真っ向から見つめる、真摯で勇敢な監督だ。初期頃こそ、ユーモアをまじえた茶目っ気を見せていたものの、あるときからはそうした装飾も捨て去った。がん告知体験や母親の死といった自らの人生の断片を反映させることもあるが、そうでない作品でさえも私的なエッセーにも似たとてもパーソナルな味わいがある。

カンヌ、ヴェネツィア、ベルリンの3大映画祭で受賞歴があり、2001年には『息子の部屋』でカンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールを受賞するなど、名実ともにイタリア映画界を代表する監督ではあるものの、巨匠という形容詞があまりしっくりこないのは、フィルムメーカーとしては円熟味を増しているが、不安を感じるような個人的な領域にまであえて踏み込み、人の心の傷、痛みに寄り添う姿勢は変わらず、若き日の“悩める青年”の影を引きずっているようにさえ見えるからかもしれない。

『3つの鍵』は、普段は自ら脚本も手がけ、自分の言葉で語ることを信条としているモレッティ初の、小説を原作にした作品だ。

小説『三階 あの日テルアビブのアパートで起きたこと』 エシュコル・ネヴォ著 星薫子訳 ¥2,530 五月書房新社刊(2022年9月6日発売)

イスラエルのベストセラー作家、エシュコル・ネヴォの原作は、テルアビブの3階建ての瀟洒(しょうしゃ)なアパートを舞台にした3つの家族の物語だ。第1章の「一階」は、1階に住む若い夫婦の物語。夫婦はときおり隣の老夫婦に子どもを預けているが、ある日、9歳の娘が認知症が進みはじめた隣家の夫とともに、一時行方不明となる事件が起こる。帰り道を見失った2人は公園で発見されるが、主人公の夫は、スポーツジムに早く行きたいという理由のために子どもを危険にさらした自責の念に駆られ、隣家の夫が娘に何かしたのではないか、という疑惑が積もりに積もって、やがて暴力沙汰を起こす。一方で、パリから一時帰国した老夫婦の孫娘の誘惑に乗り、袋小路へと追い詰められていく。

第2章「二階」は、2階に住む若い母親の物語だ。夫が出張で長らく不在となり、不安と孤独を感じている彼女は、ある日、詐欺事件で追われている義理の弟を匿(かくま)うはめになり、やがて過去の秘密が暴かれていく。最終章「三階」は、夫と死別した元地方判事の中年女性が、市民運動に関わるうちに、断絶してしまっている息子との苦い過去と向き合うという物語だ。どの章もそれぞれの主人公たちによる独白スタイルで書かれていて、「一階」は知人の小説家に話し、「二階」は女友達に手紙を書き(メールでなく手紙!)、「三階」では亡き夫へのボイスレターとして語られる。

映画『3つの鍵』 ©2021 Sacher Film Fandango Le Pacte

3つの物語は独立しており、語り口も違うのだが、最も身近にいる人間でありながら理解し合えることができない苦痛、また断絶といった「家族」の悲劇を深掘りする。アパルトマンは小さなコミュニティーであるはずだが、ここではそのコミュニティーは機能しない。取り返しのつかない過去の過ち、壊れた絆、複雑に絡まり合ってほどけない糸。主人公たちは、閉ざされた扉の中で、人生の迷宮に迷い込み、必死に“正解”を見つけようともがく。

なるほど、モレッティが引かれそうな題材である。脚本家のフェデリカ・ポントレーモリの勧めでモレッティはこの小説を読んだそうだが、多少粗野な語り口を除けば、モレッティが書いたといっても誰も驚かないほどではないだろうか。とはいえ、そのままでは映像化は難しいこの3つの物語を、モレッティと2人の脚本家・フェデリカ・ポントレーモリ、ヴァリア・サンテッラは、舞台をローマに移し、構成を大胆に変更し、映画的に再構築している。

映画『3つの鍵』 ©2021 Sacher Film Fandango Le Pacte

映画の冒頭は暴走した1台の車が、路上で妊婦をはね、アパルトマンの1階に突っ込むところから始まる。運転しているのは、3階に住む弁護士夫婦の息子である。原作にはない衝撃的なこのシーンにより、アパルトマンはひとつの映画的な空間となり、私たち観客は、その一つひとつの扉を訪ね歩くことになる。映画の脚本化にあたって大きく語り口を変化させたのは、「三階」のパートだ。

小説では、語り手である元地方判事の女性の夫は1年前に既に他界しているが、映画では夫は生きており、事故を起こした息子と夫婦の断絶までの経緯がリアルタイムで進行する。頑迷で息子に厳しい夫を演じているのは、ナンニ・モレッティ本人である。

息子を失う、という展開は、モレッティの代表作である『息子の部屋』を思い出さないわけにはいかない。とはいえ『息子の部屋』は、親子関係が悪かったわけではない。ある日、突然の事故で逝ってしまった息子について、実は何も知らなかったのではないか、という事実の前に心揺れる家族の物語だ。同じ家に住む親子でありながら、何もわかっていない。もっといえば、わかることなどできないという残酷な現実と、この「三階」の夫婦は向き合うことになる。

映画『3つの鍵』 ©2021 Sacher Film Fandango Le Pacte

彼らの息子は、事故後「3カ月のセラピーののち」、彼の両親こそが彼の罪の元凶であると考えるに至り、服役後は両親のもとを去った。母親はなんとか「断絶」という最悪の事態を避けようと努力するが、夫は絶縁を決め込み、息子と自分のどちらかを選択するよう妻に求める。小説でも映画でも、登場する男たちのほとんどは常に融通が利かず、問題を複雑にするが、息子を独立した「個」として認められず、ゆえに永遠に自分の人生から失った父親は、そうした古き時代の男性像を体現する、いわば“悪役”だ。小説では妻の記憶の中にしか存在しないこの父親を登場させた理由を、「なぜあのような行動に出たのかを、わかりやすく観客に示したかったから」「たとえ彼ら(男たち)が理解しがたく、ネガティブな人間だとしても」そうした人間に寄り添うことこそ、映画監督の務めだとモレッティはインタビューで語っている。

小説は「閉じた」世界で終わっているが、映画では「その後」も描かれる。そして人生は続き、そこにはわずかだとしても光がある。映画の邦題は『3つの鍵』とつけられたが、よいタイトルだと思う。閉ざされた扉は、鍵を見いだすことによって開き、外の世界に踏み出すことによって、人は人と触れ合い、支え合うことができるのだから。人々が新型コロナウイルス禍によって家に閉じこもることを余儀なくされ、人と関わること、コミュニティーの存在についてあらためて意識を向けた今日、この作品が公開され、また小説が読まれることは救いだ。

映画『3つの鍵』

9月16日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、UPLINK吉祥寺ほか全国ロードショー

監督:ナンニ・モレッティ

出演:マルゲリータ・ブイ、リッカルド・スカマルチョ、アルバ・ロルヴァケル、ナンニ・モレッティ

配給:チャイルド・フィルム

©2021 Sacher Film Fandango Le Pacte

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Text: Atsuko Tatsuta Editor: Kaori Shimura