Culture

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』

立田敦子の「話題の映画を原作で深掘り!」

2023.1.27

映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』 ©Universal Studios. All Rights Reserved.

一本の記事で世の中の意識を変えた、女性記者たちの闘い

#MeToo運動は、2000年代に米国の社会活動家タラナ・バークが性的暴力の犠牲者への共感と癒やしの意味を込めて始めたものだが、10年以上たった2017年秋、この運動は思わぬ転機を迎え、世界的に広まり、いまだに影響を与え続けている。そのきっかけとなったのは、米国の大手新聞「ニューヨーク・タイムズ」(以下、タイムズ)が掲載した、ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインに対する性的犯罪を告発する3,321語(単語)の記事だった。

執筆したのは、調査報道部のジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーという2人の女性記者。2人はその後に起こった#MeToo運動の大きなうねりを踏まえ、この調査報道の軌跡を克明に記したノンフィクション『その名を暴け』(原題は『SHE SAID』)を出版した。本書はまたたく間にベストセラーとなった。

邦題はセンセーショナルなものだが、この本は単にワインスタイン、あるいはほかの誰かの犯罪的行為を告発し、その名をさらし者にするためのものでは決してない。本書は、女性に対する性的犯罪が30年以上にもわたって続いてきたにもかかわらず、それを黙殺、隠蔽してきた業界、および社会のシステムを告発しているのだ。著者はこの本を書いた動機について、なぜ業界では有名であっても一般にはさほど有名ではないワインスタインに関する記事によって、これほどまでに世間を揺るがす社会的変化が起きることになったのか、その疑問に答えるためだと記している。

本書はいってみれば、ワインスタインの周りにあったぶ厚い沈黙の殻を破り、真実を世に出すための、2年におよぶ女性たちの闘いの記録である。

ノンフィクション『その名を暴け―#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い―』ジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイー著 古屋美登里訳 ¥1,045 新潮社刊

当初、噂を聞きつけたカンターは、情報提供者を探し始めたが、彼らは積極的に話すことをためらった。被害者たちは、業界の権力者による報復を恐れていたからだ。ドナルド・トランプに虐待を受けたと訴える女性たちに関する記事を書いたトゥーイーも加わり、この問題は、個人の性犯罪の問題という枠では収まりきらないことが明白になってきた。

ワインスタインは示談に持ち込むケースが多く、示談金を受け取る際に、被害者はこの件に関して口にしないという書類にサインさせられていた。つまり、法が加害者を守っていたのだ。カンターが、弁護士から法学者に至るまで、国中のあらゆる法曹関係者に電話をし、彼らから得られた答えはこれだ。

「これは性的嫌がらせにまつわるトラブルを解決するための慣行であり、こういった問題への唯一の対処法と言える。女性たちが示談書にサインしたのはもっともだ」

つまり、「女性たちは現金を求め、秘密にすることを切望し、よりよい選択がほかにあることを考えない。ただ先へと進みたいだけなのだ。彼女たちは、『おしゃべり』や『嘘つき』、『浮気者』、『すぐに裁判を起こす人間』といった悪評を立てられるのを嫌う。示談は、金を受け取って、普段どおりの生活を続けるための手段。訴訟を起こして裁判で争いでもしたら、とんでもない目に遭う」というのが彼らの“常識”だったのだ。

映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』 ©Universal Studios. All Rights Reserved.

暗礁に乗り上げたかに見えた調査だが、カンターとトゥーイーは示談のシステムを逆手にとった。示談金の支払いは罪を認めたと同じことだ。その形跡も残る。また、弁護士や仲介者といった第三者も介入する。この盲点をついて、ワインスタインを追い込んでいった。彼女たちを指揮した当時のタイムズ編集局次長、レベッカ・コーベットも含めたチームは、(社内からも含め)偏見や圧力、脅しなどにときに折れそうになりながらも、粘り強く調査取材を続けた。

そんな彼女たちに心を動かされ、危険を承知で名前を出して公に取材を受ける者も現れてきた。その1人が、ミラマックス社(ワインスタインがかつて経営していた映画会社)ロンドン支社の元従業員、ローラ・マッデンである。乳がんの手術を数日後に控えたマッデンは、カンターに宛てたメールにこう書いた。

「ミラマックスでわたしの身に起きた出来事について、証言をしなければならないと思っています。いまはわたしは幸いなことに映画業界で働いていませんし、告発してもこの生活が脅かされることがないとわかっているからです。ハーヴェイ・ワインスタインのところで働く人たちに証言しないよう説得されようとも、黙っている人間にはなりたくありません。わたしに対しては発言禁止令も出ていません。

日常生活や結婚生活に支障が出るので声を上げられない女性たちのために、声を上げたいと思っています。わたしには三人の娘がいます。そして娘たちには、どのような環境であれ、こうしたひどい扱いを“普通のこと”だと受け止めてはならないと教えたいのです。

これまで健康問題に取り組みながら生きてきて、時間が大切であることと、他人を虐げる人間には立ち向かうのが大事であることが、身にしみてわかっています。家族はみなわたしの決断を応援してくれています。

わたしは報道してもらえることをうれしく思います」

映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』 ©Universal Studios. All Rights Reserved.

この心を打つメールは、取材に協力した多くの女性たちの声を代弁しているといえるだろう。2人は著書でタイトルに関してこう書いている。

「『SHE SAID』(彼女は語った)には多様な意味が込められている。声を上げてくれた方はもちろん、声を上げないことにした方々のことや、いかに、いつ、どうして彼女たちは語ったのか、という意味も含まれている」

本書をベースにした『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』は、プランBエンターテインメント(ブラッド・ピットが率いることで知られる)とアンナプルナ・ピクチャーズによって映画化権利が取得され、英国の著名な劇作家で、第87回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した『イーダ』の脚本家であるレベッカ・レンキェヴィチが脚色、監督はドイツ出身の女優で『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』で監督デビューしたマリア・シュラーダーといったインターナショナルな気鋭の女性チームが結成された。

レイプシーンなど性暴力描写はなく、“何が起こったか”は、すべて被害者の言葉によって語られるのみ。また、ワインスタイン役の俳優の顔も正面から見せることはなく、一瞬、後ろ姿で登場するだけである。興味本位の視線による“セカンドレイプ”に配慮した構成にも、この問題への真摯な姿勢がうかがえるだろう。映画としても、ウォーターゲート事件のスクープを題材にした『大統領の陰謀』をほうふつとさせる一級の社会派サスペンスとなった本作は、調査報道がいかに機能するかの証しでもあるし、一方で、ジャーナリズムとは何か、という問いも突きつけてくる。

原作では、ワインスタイン事件だけでなく、ドナルド・トランプ前大統領やトランプ氏に連邦最高裁判所陪席判事に任命されたブレッド・カバノー氏を巡る性的加害問題についてもページが割かれているが、男性社会における権力構造、そしてこの複雑さと根深さを理解するうえでも、とても貴重である。

映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』

全国公開中

監督:マリア・シュラーダー

出演:キャリー・マリガン、ゾーイ・カザン、パトリシア・クラークソンほか

配給:東宝東和

©Universal Studios. All Rights Reserved.


公式サイト

Text: Atsuko Tatsuta Editor: Kaori Shimura