稀代のクチュリエ、マドモアゼル シャネルがジュエリーの世界に飛び込み、生涯においてただ一度だけ、ハイジュエリー コレクションを発表したのは1932年のこと。世界恐慌の影響が残る当時、“事件”とも語り継がれる衝撃のコレクション「Bijoux de Diamants(ダイヤモンド ジュエリー)」を提示してみせた。それは、デザインのユニークさからコレクションというコンセプト、発表の手法に至るまで、すべてが宝飾界のブレイクスルーだった。その誕生から90周年を迎える今年、渾身の最新ハイジュエリー「コレクション 1932」がローンチ。1月に披露された1点のマスターピースを皮切りに、ハイジュエリー全81点のほか、より日常に取り入れやすいファインジュエリーが一年を通して展開される予定だ。本記事では、象徴的な1点もののハイジュエリー ネックレスをいち早くプレビュー。マドモアゼルの生き方と美意識を鮮やかに映し出す、1932という名の華麗なるストーリーを連載形式でお届けしよう。
型破りなクチュリエが残した、きらめきの招待状
モードの定義をことごとく変えた美の反逆者こそ、マドモアゼル シャネル。パンツスタイルにマリンルック、コスチュームジュエリー、リトルブラックドレス。現代の女性たちにとってはお馴染みの基本ワードローブの多くは、マドモアゼルが打ち出したものだ。メンズの素材だったツイードやジャージーを女性用ウェアに採用し、自らも前衛的なショートヘアを貫く。制約や因習を打ち破り、女性たちの自由と新たな美を追い求めた孤高のスピリットは、ファッションの枠を超え、やがて未知なるハイジュエリーの道をも切り拓くことに。
今から90年前、世界恐慌の影響を引きずっていた陰鬱な時代の最中のこと。ロンドン ダイヤモンド商業組合は、市場の復興と新風を期待して、名声の頂点にあったマドモアゼルにジュエリー制作を依頼。宝飾品は一対一で顧客の希望に応じて受注生産するものであり、男性が支配する閉鎖的な宝飾業界だった当時、女性であり、ましてやオートクチュールメゾンの創始者がハイジュエリーを手がけることは、宝石の可能性への挑戦であり体制に対する挑発ですらあった。
「最小のボリュームで最大の価値が表現できる」ダイヤモンドを
経済が立ちゆかなくなった時代にこそ、本物の価値が必要である──マドモアゼルはそう意図してダイヤモンドを選び取り、1932年、コレクションという前代未聞の形式で約50ピースからなる「ダイヤモンド ジュエリー」を発表。マドモアゼルは言った。「私がダイヤモンドを選んだのは、最小のボリュームで最大の価値が表現できるから」。彼女はオートクチュールのデザインと同じようにテーマ、時、場所を統一させ、史上初のハイジュエリー コレクションを作り上げた。
真の美しさとは、徹底的なシンプルさから生まれると信じていたマドモアゼル。シルエットに焦点を当て、余計なものや身体の自由を奪うものはことごとく取り除いた。クラスプは排除され、ダイヤモンドの台座は石を大きく見せるために誇張するのではなく、石を受けるという不可欠な役割に留まり、ジュエリー自体にフォルムを変えるしなやかさと自由を与えた。流れるような「コメット」のオープンネックレスは首の形状や動きに心地よく馴染み、リングはリボンのごとく滑らかに指に巻きつく。ブレスレットやブローチに変容するネックレスをはじめ、トランスフォーマブルなアイテムもあり、身体のどこにでも自由な発想でまとえる名品に。コメット、フリンジ、羽根といった5つのモチーフに光を当てたが、中でも星々や太陽など宇宙を想起させるシンボルの数々は鮮烈な存在感を放ち、女性たちの個性を輝かせるエンブレムへと昇華した。
伝説のコレクションから、天体のテーマを抽出
そして2022年。マドモアゼルがジュエリーの限界を押し上げた証である、初のハイジュエリー誕生から90年のアニバーサリーを祝し、新作「コレクション 1932」がローンチする。オリジナルコレクションのモダンな世界観を再解釈し、“天体”というテーマ、無駄を削ぎ落としたライン、身体の動きやすさというコンセプトを継承。マドモアゼルの美的センスを出発点としながらも、躍動感に満ちたまったく新しいストーリーを創造した。デザインを指揮したのは、シャネル ジュエリー クリエイション スタジオ ディレクターのパトリス ルゲロー。銀河の彼方で自ら光り輝く天体モチーフに焦点を当てた「コレクション 1932」は、時空を超える旅のようなもの。「コメット、月、太陽という3つのシンボルを取り巻くメッセージを調和させたいと考えた」とパトリスは言う。
形を変えられる15点を含む全81点の壮麗なハイジュエリーは、今年一年を通じて世界的に展開される。その第一弾として、1月18日、コレクションのスピリットを象徴するマスターピース1点がデビューを飾ったばかり。それは、星・太陽・月という3つのモチーフを巧みに融合させた「アリュール セレスト」ネックレス。これら天体のモチーフは、マドモアゼルが幼少期を過ごしたオバジーヌ修道院の回廊を飾る敷石にも見られ、メゾンにとってシンボリックなテーマであり続ける。
「私は、女性たちを星座で覆い尽くしたい」
55.55カラットものブルーサファイアの夜空に佇む月を中心に、ダイヤモンドの彗星は眩いまでに瞬き、太陽はアシンメトリーな放射状の光線を放つ。モチーフを取り巻く光輪部分やサファイア以下のペンダントトップは取り外し可能。ネックレスの長さを短く調整することもでき、ブローチやブレスレットにも形を変える。それはまさに、服と同じようにジュエリーにも自由としなやかさ、ボディへのフィット感を追求し、「女性たちを星座で飾りたい」と語ったマドモアゼルに捧げるオマージュそのもの。
そもそもシャネルのジュエリーは柔軟であり、しなやかさを信条とする。素肌に馴染み生き生きと躍動するその滑らかさは、メゾンが誇る伝統的な職人技巧の賜物だ。ヴァンドーム広場のシャネルのアトリエで、ジュエリーに生命を吹き込むクラフツマンたちの専門性と経験が、この挑戦的なコレクションを具現化している。かつてマドモアゼルが思い描いた、自由としなやかさというジュエリーに対する明快なビジョンが、約1世紀後の私たちの感性をなお刺激していることは、決して偶然ではない。マドモアゼルの並外れた美意識、揺るぎないエレガンス観はタイムレスなのだから。
運命のいたずらと忘れられていた挑戦
最後に、ハイジュエリー制作におけるイノベーションの針を未来へと進めたにもかかわらず、数十年もの間、マドモアゼルがジュエリーへ挑戦したことすら忘れられていた理由に触れておこう。大胆にも、フォーブル サントノレ通り29番地にあるマドモアゼルの私邸を会場として、1932年11月に約2週間にわたって開催されたジュエリー展。約20フランの入場料で大勢の人が押し寄せ鑑賞し、ロンドン ダイヤモンド商業組合の株価を2日間で急上昇させ、その革新性は仏版『VOGUE』をはじめとする世界中の名だたるメディアで喝采を浴びた。しかし、この“シャネル事件”はヴァンドーム広場でたちまち騒動となり、老舗ジュエラーの圧力によってダイヤモンド商業組合を通じてジュエリーは解体され、幻と化すことに。展示会初日に取引が成立していたいくつかのジュエリーだけが、幸いにも解体を免れて今日まで存在し、偉大なコレクションの存在を証明しているのだ。
さらに、ヘアメイクや洋服を施した蝋製マネキンにジュエリーを飾ったプレゼンテーションの手法は、当時としては斬新としか言いようがなかった。アートに精通し、芸術家たちと親交の深かったマドモアゼルらしく、展示会を通じてジャン コクトーやポール イリブ、ロベール ブレッソンという著名アーティストとコラボレーションを果たした点も、古典的なジュエリー界に衝撃を与えた逸話が残る。運命の年、1932年に始まった輝きのドラマとマドモアゼル自身の物語にリスペクトを捧げながら、メゾンのジュエリー伝説は常に新しい扉を開いていく。
Text: Etsuko Aiko Editor: Maiko Hamano