メゾンの美学を宝石に刻む、彫刻職人の技巧
古代から伝わる高貴なエングレービングやスカルプティングとよばれる彫刻の技法。メゾンの職人たちが挑戦する、超絶技巧の世界をひも解いていく。
いきいきとした生命力を宿すかのような植物、いまにも動き出さんばかりの生き物、細やかに彫り上げられた模様……。宝石の原石、または金属に、装飾要素をほどこし三次元の形状へとつくりあげる。それが彫刻職人の仕事だ。この彫刻術は、宝石にほどこすものとしては最も古い装飾技法のひとつといわれ、ヘレニズム期を起源とするカメオの彫刻宝石などにもみることができる。
芸術性が強く求められるこの工程は、職人の高い技術なくしては成り立たない。ヴァン クリーフ&アーペルでは、まず3年間の修行期間を経て、ようやく重要な宝石に触ることが許されるという。その後、専門的な訓練と高度な技術を、最低でも5年間は学んでいく。メゾンの求める基準に必用な、完全性、詩、動き、自然さ、魅力、柔らかさ、そして驚き。これらを宿したメゾンらしいジュエリーをつくり上げるためには、革新技術と研究心をも習得しなければならないからだ。
メゾンの世界観を深く理解するとともに、確かな技巧をもった彫刻職人たち。作品づくりに際し、まず最初にすることは石と向き合うことだという。石の比率やボリュームの確認、潜在的な問題点の見極め、作業の所用時間、3次元への視覚化、そして宝石の比較などをおこなっていく。例えば、ターコイズはとても柔らかく、さんごは熱や酸に弱いなど、すべての宝石は異なる性質をもっている。それぞれの石がもつ微細な特徴を認識し、すべての石を正しく分類する審美眼が必用なのだ。
カービング、エングレービング、スカルプティングとよばれる彫刻の作業工程は、金属や、さらに堅い物質(ダイヤモンドやダイヤモンド粉末)からできた様々な形状のチップ、またはビュランと呼ばれる鋭い道具によって進められる。これらの道具類の先端を金属にあてる角度により彫りだす金属の量や形状は変わっていく。非常に忍耐と集中力のいるこの作業は、完璧なピースを彫り上げるまでに2カ月以上を要することもあるという。このミクロの世界を操る圧倒的な直感力は、石と対峙したときから、意匠の最終形を理解しているからこそ持ちうる熟練の技でもある。
“マンドール(黄金の手)”と呼ばれる卓越した職人たちは、熟練した手作業だけでなく、情熱とともに宝石を彫刻する。それは、仕事を愛するものだけが、原石の生み出されるべきフォルムを直感的に理解できると信じるからだ。そして彫られた形は、どんな小さなものでもメゾンの美学を受け継いでいく。そんな職人としての誇りが、ヴァン クリーフ&アーペルの宝石を、さらなる特別な輝きに変えていくのだ。
Editor: Asako Kanno