ワキ汗による経済損失は
月3120億円!

悩みの見える化が健康経営の鍵

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多汗症×経済問題 特別対談
NPO法人 多汗症サポートグループ代表理事
黒澤 希さん
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慶応義塾大学大学院 教授 岸 博幸さん

季節の変わり目は心身ともに体調を崩しやすく、日ごろ社員の健康に気を配っている経営者や管理職の方々にとっても気がかりな時期ではないでしょうか。汗も気になる季節ですが、日常生活で困るほどの汗をかいてしまうのは、多汗症という病気かもしれません。日本人の20人に1人が腋窩多汗症(えきかたかんしょう=ワキ汗)に悩まされ(※1)、労働生産性の低下による経済損失が月間で3120億円に上ると試算(※2)されるほど影響は深刻であり、積極的な治療や多汗症の社員への配慮が求められます。自らも多汗症の患者である多汗症サポートグループ代表理事の黒澤希さんと、経済問題に詳しい慶応義塾大学大学院教授・岸博幸さんが、デリケートなワキ汗・多汗症問題へのアプローチ方法を探りました。

仕事にも勉強にも大きな影響

黒澤 私の場合は局所多汗症といって、手のひらや足、腋(わき)などの特定の箇所にずっと汗をかき続けてしまう症状に悩まされています。子供のころはプリントがぬれて字が書きづらかったり、社会人になってからは握手を避けたり、常に汗を気にする生活が続きました。今でも仕事中に、どのタイミングで汗を拭こうかと気になって集中しづらいことがあります。学生さんの場合では、試験の最中に汗が答案用紙に落ちて集中できなくなってしまうこともあるそうです。勉強や成績にも影響が大きいですよね。

  • 黒澤 希さん NPO法人 多汗症サポートグループ代表理事
    黒澤 希さん
  • また、多汗症の方は、暑がりだと思われがちですが、実は汗をかくとその部分が冷えるので、職場などで寒さを訴える方が多いんです。

 汗は日常的にかくものなので、多汗症がそんなに深刻だという認識が自分にはありませんでした。一方で、日本人の20人に1人が腋窩多汗症の可能性があり、ワキ汗による経済損失が月間で3120億円と試算されているそうですね。その影響の大きさは正直驚きでした。でもお話を伺うと、多汗症が積極性や集中力を妨げて、生産性の低下に直結しているということが理解できます。
そもそも日本は生産性が低いことが課題とされていますので、それをさらに下げる要因は早急に是正すべきであり、政府・企業両方の対応が必要だと思います。

人材確保に健康経営が鍵握る

黒澤 ビジネスシーンでの多汗症の悩みは深刻です。特にワキ汗の方はグレーの服は着られないなど服が選べないうえに、着替えを常に持ち歩かなければなりません。また、つり革をつかむなど、人前で手を上げるしぐさがしにくいというのも大きな悩みです。人と接する機会の多い職業に就きづらいなど、職業の選択が制限されると悩まれている方もいらっしゃいます。

図版1

 多汗症に限らず、花粉症や生理の悩みなど、生産性が落ちる可能性がある要因に対し、対策を取っていこうという機運が企業の中に高まりつつあります。日本では人口減少が加速し、人手不足が深刻化する中で、優秀な人材の奪い合いが始まっています。企業にとって優秀な人に働き続けてもらって生産性を上げることはまず何よりの優先事項であり、社員の健康に気を配る企業ほど、良い人が集まるという傾向が顕著になるのではと思います。

社員の健康状態の把握・管理・改善を目的とする「健康経営®」に取り組んでいる企業を選定・公表する取り組みである「健康経営銘柄」を取得している企業は、一般の企業に比べて離職率が約8%も低いというデータもあります。(※3)。

日常生活とともに
あの悩みも戻ってきた

黒澤 新型コロナウイルス禍の間は対面の機会が少なくなったので、服に悩まずに済むようになり、満員電車でつり革をつかむことや名刺の手渡しなども減って、気が楽だった多汗症患者も多かったと思います。今はリアルモードに戻りつつあるので、あの悩ましさも戻ってきたと感じられているのではないでしょうか。

  • 岸 博幸さん 慶応義塾大学大学院 教授
    岸 博幸さん
  •  社会がリアルモードに戻ってくるのは経済的には良いことのはずですが、それに参加しづらく感じる方々がいるというのは問題ですね。社会がダイナミックに動き出すときには、新たなイノベーションも必要になりますが、革新的なアイデアというのは、脳みそを振り絞るくらいの集中力が必要です。そんな時に多汗症などで集中力がそがれてしまい、ビジネスアイデアも生まれにくくなってしまうとしたら心配です。見えない損失といえるのかもしれませんね。

悩みの見える化に健診の活用を

黒澤 多汗症であるということを隠してしまうのも、この病気の良くないところです。「サイレント・ハンディキャップ」とよくいわれますが、隠してしまうから患者同士もつながれなく、この世でたった1人みたいな気持ちになる病気なんです。1人で悩みを抱え、うつ状態になってしまう方もいるようです。

例えば職場でも、上司や同僚にちょっと声掛けしてもらえたら、自分から悩みを打ち明けることもできるのではと思います。ただ、声をかける方もすごく勇気がいりますよね。

 人知れず悩んでいる健康問題の見える化も重要です。例えば企業の健康診断の問診項目に多汗症なども含めてもらえれば、そこにチェックを入れるだけで、職場内で問題を共有できます。同時に、皮膚科など専門医につなぐ対策を取ることも可能になりますよね。人材活用が叫ばれる時代だから、多汗症に限らずビジネスや日常生活に影響がありそうな健康の悩みを健康診断の対象に加えることを、国にも音頭をとって進めてほしいですね。

「知る」ことで
未来はきっと良くなる

黒澤 そもそも多汗症は病気だということが知られておらず、現在、受診率は1割以下にとどまるそうです。かつては私自身も汗っかきなのは体質だと思っていて、数年前に肌荒れの診察を受けた皮膚科の先生に「そういえば私は手汗もひどいんです」と訴えたところ、初めて多汗症という診断がつき、病気だったということにびっくりしてしまいました。
多汗症の治療には塗り薬のほかに、注射薬や手術、内服療法や精神療法などの治療法があります。自分に合った治療法を選べることは、多くの患者さんにとって心強く感じられると思います。私の場合は大事な仕事の前にあらかじめ薬を塗るなどの対処ができるようになり、気持ちが軽くなりました。

 うつはもちろん、多汗症でいろいろなことに消極的になったり臆病になったりすることは、人生そのものにも影響が大きいと思います。日本は社会の成熟が進み、GDPなどの経済指標を追求するだけの国ではなくなりました。国際的には「幸福度指標」といったものが評価され、企業では利益の追求だけではなく、経営に関わる関係者全員の幸せを追求する「ウェルビーイング経営」も重視され始めています。健康に対する悩みを減らし、一人ひとりが幸福に暮らせる仕組みを、企業や社会が一緒につくっていくべきです。

黒澤 「たかが汗ごときで病院に」というように言われてしまい、治療を受けづらいという方の話も聞きます。社会が多汗症のことを知り、受け入れてくれることで、今、多汗症に悩んでいる方々の未来も必ず良くなるはずです。最近、保険適用のワキ汗治療の塗り薬が初めて登場しました。こうしたこともきっかけにワキ汗など多汗症が治療すべき疾患だという認識が広がってくれるといいと思います。悩んでいる方はぜひ皮膚科を受診し、多汗症に詳しい先生に相談していただきたいと思います。

図版2

※1 Fujimoto T, et al.: J Dermatol. 2013;40(11):886-890. ※2 Murota H,et al.:J Dermatol.2021;48(10):1482-1490. ※3 2021年10月 経済産業省ヘルスケア産業課「健康経営の推進について」調査 *健康経営®は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。

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