2011年3月11日の東日本大震災の発生から間もなく10年。津波により市街地が壊滅するという、東北地方でも最大規模の被害が発生した岩手県陸前高田市には、にぎわいが徐々に戻ってきていた。このまちで大規模な市街地のかさ上げ工事や高台の住宅地整備を進める土地区画整理事業等を受託した独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)は、このゼロからの復興まちづくりを市とともに10年で成し遂げるため、総延長約3kmにおよぶベルトコンベヤーを設置するなど大胆な手法を採用した。「奇跡の一本松」で広く知られる陸前高田市の現状を、キャスター榎戸教子氏がリポートする。

インタビュー

陸前高田市 復興局 局長兼市街地整備課長 菅野誠氏、陸前高田市 復興局 市街地整備課 主幹兼課長補佐 高橋宏紀氏、UR都市機構 岩手震災復興支援本部 陸前高田復興支援事務所 所長 関俊介氏、キャスター 榎戸教子氏

震災当日は市役所の屋上で難を逃れたという陸前高田市復興局の菅野氏と高橋氏は、被災した市街地を目の当たりにし「何からどう手をつけたらいいのか分からない状況だった」と言う。それから約10年、深夜からの雪でまちがうっすら白化粧をした12月某日、高田地区の中心市街地に建つ世界的建築家・伊東豊雄氏設計による交流施設「ほんまるの家」にて話を聞いた。

デスクを並べて復興計画のマスタープランを策定
10年で成し遂げた復興まちづくり

榎戸 まず、東日本大震災での陸前高田市の主な被害状況、規模などを教えてください。

菅野 最大浸水で高さ17.6mの津波により1300haという大きなエリアが浸水し、市街地は壊滅状態になりました。支援物資の手配や行方不明者の捜索、災害廃棄物と呼ばれるがれきの撤去を進めながら、市内の被害状況を確認して復興計画も策定しなければならないという状況でした。

榎戸 そこで陸前高田市は復興事業の委託先として、UR都市機構を選ばれました。その経緯を教えてください。

高橋 国からの支援というかたちで、発災1カ月後の2011年4月にUR都市機構の職員2人を陸前高田に派遣していただきました。

榎戸 当初は国からの支援だったということですね。1年後の2012年3月には「東日本大震災に係る陸前高田市復興事業の推進に関する協力協定」を締結され、復興まちづくりの協働推進が始まりました。UR都市機構には、どのような役割を期待されたのでしょうか。

高橋 かなり大きな復興事業で、事業全般を効率よくスピード感をもって進めるための支援というところに期待をしていました。

榎戸 市街地の新旧地図を比べたものを見せていただきましたが、本当にまちをつくり直すという状況ですよね。事業を進めるに当たって全体を俯瞰(ふかん)でき、交通整理できる方が必要だったということですね。

菅野 そうです。UR都市機構に、清水建設JV(共同企業体)による工事をどう動かしていくかという事業全体のマネジメントを担っていただき、市は市で、2000人におよぶ権利者の方など住民の方々とのいろんな合意形成を担うという役割分担がうまくできた結果、2018年9月29日・30日には「陸前高田市まちびらきまつり」を開催することができました。

菅野誠氏
「希望のかけ橋」には勇気づけられました。ずっと残したかった

榎戸 UR都市機構が担われた復興支援内容について、詳しく教えてください。

「高田地区」「今泉地区」の2地区合わせて約300haについて、新たな高台の住宅地整備と浸水区域の最大約12mのかさ上げ工事などを行う土地区画整理事業の受託、およびこれらの地区をネットワークする道路や下水道の整備を受託しました。また合わせて6カ所、269戸の災害公営住宅の建設も担当しています。

榎戸 宅地整備だけではなく、災害公営住宅もURが整備されたのですね。

269戸というまとまった規模の災害公営住宅を建設することにより、被災者の方の早期生活再建につながったかと思います。

榎戸 郊外のニュータウン造成と賃貸住宅をともに手がける、UR都市機構の強みが発揮できたということですね。

菅野 高齢者の方にとって仮設住宅は寒いということで、2014年9月に先行的に着工した120戸の「下和野団地」にはかなり応募がありましたが、最優先して高齢者の方にご入居いただきました。この下和野団地は、UR都市機構の努力により約1年竣工を前倒ししていただき、ありがたかったですね。

榎戸 UR都市機構は、市役所の一画に事務所を構えられたと聞いています。日々どんな雰囲気でやり取りが行われてきましたか。

高橋 今は事務所を構えていただきましたが、当初は私たちとデスクを並べていただいていたんです。声を掛ければすぐ隣で打ち合わせができるというような、同じ課の職員というような関係でしたね。

高橋宏紀氏
UR都市機構にはぜひこれからにぎわい創出も応援してもらいたい

先行派遣した職員は2人でしたが、事業の進捗に併せて体制を強化するとともに市役所の近傍に現在の復興支援事務所を構えました。現在までに延べ200人の職員が現地で従事してきました。

榎戸 東北の被災3県のなかでも最大規模の復興事業となったそうですが、計画策定において重視したのはどんな点でしたか。

菅野 まず、宅地については高台移転し安心して生活いただける拠点を創出し、そして、中心市街地をつくってそこに人を呼び込みにぎわいを取り戻すというところです。この復興計画のマスタープランについては、先行派遣いただいたUR都市機構の職員の方と一緒に毎週のように会議を重ねて、2011年11月にはまとめました。

榎戸 発災からおよそ10年が経過しました。復興事業の進捗状況についてお聞かせください。

復興整備計画の策定後、それを受けて区画整理事業が事業化をされたのが2012年9月、工事着工は同年12月です。その3年後には高田地区の高台で宅地の引き渡しを開始し、着工から8年たった2020年12月には宅地や公共施設の整備がほぼ整いました。完成した宅地につきましては、2021年1月にはすべて権利者の方に引き渡しという運びになります。災害公営住宅は、まず2014年9月に下和野団地が竣工し、2017年3月までにすべて完成引き渡しを終えました。

菅野 私はずっと土木に従事してきたので、10年でここまで進捗したことが信じられません。本来なら、20年はかかる規模のまちづくりだったと感じています。

「奇跡の一本松」だけではなかった復興のシンボル
被災地にかかった力強い「希望のかけ橋」

榎戸 今回の復興事業においては、URとして初となるCM(※)方式を採用しました。その狙いを教えてください。 ※Construction Managementの略。建設生産・管理システムの一つで、発注者から準委任されたコンストラクション・マネジャー(CMR)が、プロジェクト全体または一部のマネジメントを行うことで事業の円滑な推進を支援する。

東日本大震災の被害は非常に甚大で広範囲に及ぶことから、復興に当たって作業員の方やセメント・鋼材といった資材、もしくはダンプなど重機の需要が一気に出るということ、また工事を単発で一つひとつ発注していると膨大な時間がかかってしまうといった課題がありました。そこでCM方式を採用し、円滑な管理と業務のスピードアップを図りました。

榎戸 のちに「希望のかけ橋」と名付けられた土砂運搬用のベルトコンベヤーによって、工期を随分短縮できたとお聞きしています。

市街地のかさ上げや高台の住宅地整備に当たっては、山を切ってその土を市街地に運んだのですが、両地区合計で約1200万㎥の切土が発生しています。なかでも今泉地区では、標高130mの山を約80m切った土砂約500万㎥を対岸の高田沖農地に搬出する必要がありました。これは、10tトラックで搬出しますと約100万台分、運搬に8年超かかるところです。しかし1日2万㎥を運搬できるベルトコンベヤーを導入することで、約2年半で搬出を完了することができ、工期を約6年短縮することができました。

榎戸 人も資源も限られるなかで、ベルトコンベヤーがまちづくりの助けになったということですね。総延長は約3kmにおよんだそうですが、2014年3月に稼働開始した際、どう感じましたか。

高橋 壮観でした。すごいものができたな、と。本当に復興に向けて、力強い気持ちになりましたね。

菅野 夜間はライトアップするという配慮もいただき、地元の小学生に「希望のかけ橋」という愛称を付けてもらいましたが、まさに復興のシンボルとなり勇気づけられました。できれば「復興遺構」というようなかたちでずっと残したいなとも思いましたが、維持管理費もかなりかかってしまうので橋脚だけ残しています。

榎戸 シンボルと言えば、下和野団地も復興のシンボル的存在だったそうですね。

復興のシンボルとして早期ご入居を実現したいという思いがあり、陸前高田市がいろいろご調整いただいて、かさ上げのための試験盛土というかたちで土地をお借りする約定を結び、地盤状況などの観測をした上で宅地として完成させました。結果、約1年ご入居までの期間を短縮できています。

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今泉地区の高台から眺めたベルトコンベヤー設置状況(2014年7月撮影、現在は撤去済)

約6年の工期短縮を実現した総延長約3kmのベルトコンベヤー「希望のかけ橋」

気仙川の東側に位置する今泉地区の標高130mの山を約80m掘削、対岸の高田沖農地に500万㎥の盛土材として運搬するために敷設された。「希望のかけ橋」と命名された気仙川を渡河する吊り橋(主棟間距離220m)は、今は橋脚部分だけが遺構として残されている。

ゼロからのまちづくりに感じられた懐かしさ
基盤整備の完了で取り戻したまちのにぎわいと誇り

榎戸2016年8月には、陸前高田の中心市街に商業施設「アバッセたかた」が開業、2017年4月には隣接する公園「まちなか広場」も完成しました。

菅野 アバッセは地元の言葉で「さあ、行こう」という意味なんです。まさに人が集まってきている様子や、公園で遊ぶ子どもたちを見て、本当に率直に「ここまで来たんだな」と感じていました。

高橋 週末には、公園に100人くらいは集まっていると思います。

菅野 以前のまちより少し北側に押し上がってコンパクトにはなりましたが、城下町としての記憶が残るようなかたちで復興されていたり、やっぱり懐かしくも感じました。

榎戸教子氏
本当にきれいなまちで安全安心と「温かさ」がとても印象的でした

榎戸 新しいのに懐かしいという感覚もあったのですね。

高橋 2017年10月に、中心市街に商店街「まちなかテラス」がオープンしていますが、建物の外壁には各店舗の店名とともに創業年が入っているんです。「こんなに昔からあったんだ」と、感慨深げにされている方も見かけました。改めて、そういった誇りも取り戻せたように感じています。

菅野 付近の通りは一部、この地域で夏に盛大に行われる「うごく七夕まつり」の山車に対応した舗装にしています。まだコロナ禍で開催できていないのですが、2021年の夏を楽しみにしています。また市民文化会館や、まだ建設中ですが市立博物館、JR大船渡線BRT(バス高速輸送システム)の高田駅など公共施設もどんどんできてきて、そうなると避難された方々も戻って来てくれるんじゃないかなとすごく期待しています。

榎戸 改めてUR都市機構の復興支援に対して、どのような感想をお持ちでしょうか。

高橋 震災後まもなく、がれきが残るなか被害調査から入っていただいて、一緒になって復興計画をつくり上げるなかで、勉強させていただいたことが多かったです。本当にUR都市機構に助けていただいたなという思いです。

菅野 いつも不夜城のように昼夜問わず頑張っていただき、なかなか私たちだけの感覚だとできない、このような良いまちづくりをしていただき、本当に感謝しています。これからいかに生かすかが、今度は私たちの使命と思っています。

榎戸 これからの陸前高田にとって必要なことは、どんなことだとお考えですか。

菅野 やっぱりにぎわいを取り戻すことです。市役所だけではできないので、UR都市機構にもサイネージ映像の作成などお手伝いいただいています。「高田まちなか会」という商店会も発足し、彼らと協力してどんどん情報発信していきたいと考えています。UR都市機構の皆さんをはじめ、このまちに思いを寄せてくださっている皆さんを「思民」と書いて「しみん」と言っているんです。例えばワタミは、今泉北地区の盛土をした平地部に、オーガニックランドテーマパークをつくっていただけることになっています。2021年春には一部オープンするのですが、ワタミには思民の一人として20年、30年を掛けて交流人口をどうにかして増やしていきたいとおっしゃっていただいています。また、高田松原運動公園の北側の平地部には、地元の企業が思民とともに市の花であるツバキを植えて、赤い絨毯のような花畑を作ろうという「レッドカーペット・プロジェクト」も動き出したところです。

関俊介氏
他に例を見ないまちづくり。期間内に終えられ胸をなで下ろす思いです

榎戸 年度末には宅地や公園などの公共施設の引き渡しもすべて完了する予定です。基盤整備の完了を迎えるに当たって、今どんなお気持ちですか。

東日本大震災の発生から10年を迎えるということで、被災を受けた方々には本当にお待たせしてしまったという気持ちがあります。これだけ大きなゼロからのまちづくりとなった復興事業は例を見ないなかで、国が被災地を重点支援する「復興・創生期間」の最終年度内に基盤整備を終えられたことに正直、胸をなで下ろす思いです。

榎戸 これからの陸前高田市の発展に向けての思いをお聞かせください。

今泉地区には発酵をテーマにした商業施設「カモシー」がオープンし、今後、今泉北地区では先ほどの「ワタミオーガニックランド」がオープンするなど、いろんな観光施設が整ってきます。また高田地区のまちなか広場では定期的にマルシェが開かれ、2020年10月には花火競技会、11月には復興応援マラソンも開催されています。防災や減災を学ぶ取り組みとして、地元の一般社団法人「マルゴト陸前高田」では修学旅行や企業研修で災害遺構をご案内するツアーも運営されています。これからますます多くの方に、ぜひ陸前高田に訪れていただきたいと思っています。

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リポート

前夜の雪が残るものの、時折、晴れ間も現れるなか視察した市内各地は、震災からおよそ10年にして以前よりも安全安心なまちに再興を遂げていた。内閣府が推進する「SDGs未来都市」にも、岩手県下で初めて選定されている。

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左:BRT陸前高田駅に隣接する「復興まちづくり情報館」には模型のほか、震災前から新たなまちの魅力まで、約200点の写真を展示
下:高田地区の中心市街近辺の路面は、七夕まつりの山車が動かしやすい舗装が施される

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左:ショッピングセンター「アバッセたかた」は、高田地区のかさ上げされた中心市街に2017年4月竣工。震災前にあった店舗が多く入店
下:2017年10月には、隣接して4店舗が軒を連ねる商店街「まちなかテラス」もオープン

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今泉地区の高台から望む広田湾。採掘された土砂を破砕する巨大建造物の構造が、展望緑地として整備されている。中央に「希望のかけ橋」の橋脚、その右手に「奇跡の一本松」が立つ。松林を復活すべく、4万本の植樹が進行中

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水が豊かな土地柄、もともと味噌や醤油、酒などの発酵食品メーカーが多かった今泉地区に、2020年12月17日にオープンした発酵パーク「カモシー」。チョコレート工房、パン工房、クラフトビール醸造所、発酵キッチンといった8店舗と二つのコミュニティースペースから成る。外観は蔵町でもあったまち並みを再現

上:2014年9月、高田地区の試験盛土の上に先行で竣工した災害公営住宅「下和野団地」。奥には7階建ての市役所を建設中
下:側を流れる川原川沿いは、川辺の水空間として公園に。木立は津波を生き残った残存樹木

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道の駅のデジタルサイネージの映像制作に、UR都市機構の若手職員が協力。「良いまちができたことを発信したい」と入社4年目の川口泰斗さん。「まちの人たちのあったかさに触れ合えた」という入社2年目の佐藤玲さんは、岩手ご出身で震災ボランティアの経験もあり
※映像はYouTubeのUR都市機構公式チャンネルで公開中

街の声

復興からにぎわいの創出へと、課題が移りつつある陸前高田市。インタビューでも語られた高田・今泉地区それぞれの中心市街、そして市内全域で、現在進行系で交流人口獲得に努める団体の声をお届け。

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