数学の進化が生む新たなパラダイムシフト

人類はこれまで数学の進化によって社会を変革してきた。アラビア記数法が導入した“ゼロ”の概念は革新的であり、その数百年後の算盤という技術が十進法計算を広めた。これにより新たな形での会計や銀行業が生まれ、ルネサンス期を支える資金源となった。また、ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』で微積分を紹介し、近代物理学を生み出した。その利用法は計算尺などの計算機によって広まり、次世代の学者へと引き継がれた。そして1930年代、チャーチ=チューリングのテーゼにより近代的アルゴリズム数学が登場し、コンピューター開発へとつながり、その数十年後の情報化社会をもたらした。

新たな数学の進化が登場した当初は、多くの人はそれを理解することも使いこなすこともできない。しかし、技術がそれを拡張することで多くの人が利用できるようになり、社会の発展へとつなげてきた。

今、コンピューティングに量子力学を応用することで、世界に変革が起きつつある。新たなワクチンの開発から、環境負荷を軽減する化学物質の開発、持続可能な社会の実現など、私たちが直面する課題の解決を加速し、「新しいより良い社会に向けた前進」を実現する可能性をもたらすツールとして世界が量子コンピューターに注目している。

従来のコンピューターに困難な領域へ

コンピューターの高性能化は進んでも、これまでのコンピューターでは解を得ることが困難な類の問題がある。

例えば、10人の気難しいメンバーを招いたディナーの配席を考えてみよう。最適な配席を見つけ出すための選択肢は、参加者が2人なら2案、5人なら120案だが、10人全員の場合は「3,628,800案」だ。そして各案を1つずつ、各メンバー相互の関係性などを考慮しながら検証する必要がある。

これまでのコンピューターでは解を得ることが困難な類の問題

一見、簡単に見えても、このような問題に対し、従来のコンピューターで最適解を見つけるのは難しい。同様に現代社会において、これまでのコンピューターでは解決が困難な問題はたくさんある。このような問題に対して、量子コンピューターを使った「量子アルゴリズム」による解決が期待されている。

量子コンピューターがもたらす新次元の計算能力

量子コンピューターとは、量子力学の原理を使った、まったく新しいタイプのコンピューターで、従来のコンピューターとはまったく違う次元の計算能力を実現する。

現在のコンピューターで使われている最小の情報単位は1か0のどちらかを表す「ビット」だ。それに対し量子コンピューターは、1と0を「重ね合わせ」て同時に表現できる「量子ビット」を用いて演算を行う。

量子コンピューターがもたらす新次元の計算能力

例えば、量子ビット5つで同時に2の5乗である32の状態を表現でき、ビット数を増やすことで扱える問題の規模は指数的に増加する。

また量子の世界では、複数の量子ビットが、常に相関関係を維持したままの動作をしていく「もつれ」を行うことができる。量子コンピューティングは、この「もつれ」の性質を使って、対になる量子ビット同士が相互依存関係にあることに基づいて起こるさまざまな問題を符号化して処理することから、従来のコンピューターよりも高い計算能力をもつ。

このような量子の「重ね合わせ」と「もつれ」という特性を応用することで、膨大な組み合わせを効率的に評価することができる。分子や化合物などの新材料の発見や創薬など、このようなシミュレーションが必要な領域において、従来のコンピューターでは困難だった課題を解決する可能性をもつツールとして期待されている。

量子コンピューターの効果が見込まれる課題例

図:量子コンピューターの効果が見込まれる課題例

コンピューティングの歴史の新たな章を拓くテクノロジーとして期待される量子コンピューティングであるが、従来のコンピューティングに置き換わるという位置付けのものではない。それぞれの得意分野を生かして共存するとともに、AIや機械学習などの先端技術と連携を図ることで、社会やビジネスの発展に貢献していくだろう。

量子コンピューターの内部

量子コンピューターと聞くとシャンデリアをイメージする人が多いのではないだろうか。このきらびやかなシャンデリアのような部分は、希釈冷凍機と量子プロセッサー・チップなどで構成されている。

実際に計算を実行するのは希釈冷凍機の先端に置かれた小型の超伝導量子ビットと共振器の量子プロセッサー・チップだ。宇宙空間よりも低い温度で冷却されることで、安定的な量子の状態が維持される。そこで実現される量子の特性を利用して量子アルゴリズムに基づいた計算処理を行うことができる。

量子コンピューターの内部

機能美を追求した「IBM Quantum System One」

量子コンピューターは、極低温状態を維持し、振動などのノイズなどを防ぎ、量子状態を安定的に保つために複数のカバーで覆われている。「IBM Quantum System One」を囲っているホウケイ酸ガラス(硬質ガラス)製のケースは、ルーヴル美術館に展示されているレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」などでも採用されているイタリアのGoppion社と共同開発されたもの。振動抑制や気密性をもたらす機能とともに、美しさを追求したシステムデザインが採用されている。

IBM Quantum System One

IBMの量子コンピューティング・ロードマップ
:これまでとこれから

IBMがクラウド上で最初の量子コンピューターを公開したのが2016年。以来、毎年性能を2倍ずつ向上させてきている。品質を示す基準である「量子ボリューム」は量子ビット数、エラー率、連結量、基本演算種から算出され、現在到達できた値は「128」である。

IBMは今後の開発プランを「量子コンピューター・ロードマップ」として明示しており、2023年に1000量子ビットを超える目標が掲げられている。実装に向けたモデル開発も「自然科学」「金融」「最適化」「機械学習」の分野で並行して進められていく。

世界そして日本で加速する量子コンピューティング実用への取り組み

2021年7月27日、27量子ビットの商用量子コンピューター「IBM Quantum System One」の国内初の稼働を開始した。設置場所は神奈川県川崎市の産業育成拠点「かわさき新産業創造センター」で、コンピューター名は「ibm_kawasaki」と名付けられた。

量子コンピューターの実機が国内に設置された意味は大きい。日本の研究者が利用できる時間が増え、量子技術の研究開発が加速する。量子コンピューターを当然のこととして捉える「量子ネイティブ」の広がりも期待できる。

全世界の登録ユーザー数は35万人超、早期実用化に向けた取り組みを加速

2021年9月時点の各実績数値

量子コンピューティング活用への取り組みはすでに世界レベルで始まっている。そして量子コンピューティングを実際に「使える」段階へと進めるには、包括的な取り組みが必要だ。IBMは自社における研究開発に加えて、「IBM Quantum Network」を通じて量子コンピューターの実応用を視野にいれた企業や研究機関との連携を図っている。

また量子人材育成に向け、IBMの量子コンピューティングのソフトウェア開発フレームワークである「Qiskit」では、開発者コミュニティーである「Qiskit Community」を通じて、量子計算の基本から学べる教育ツールを提供し、幅広い層への学習支援を行っている。この他にもオンラインの量子プログラミングコンテストである「IBM Quantum Challenge(2021年10月開催予定)」など、様々な量子人材の育成活動を展開している。

現在、IBM Quantum Network Hubに参加する企業や学術機関、研究所は全世界で150を超える。さらにクラウド経由で量子コンピューターを無償で利用できる「IBM Quantum Experience」の登録ユーザー数は35万5000人を超え、Qiskit(ソフトウェア開発ツール)のダウンロード数は90万を超えている。関連論文も800を超え、今もなおその数は増え続けている。

量子コンピューターは遠い未来の技術ではない。多くの企業や技術者が、今まさに量子コンピューターの早期実用化に向けた取り組みを加速させている。

*各実績数値は2021年9月時点

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