5つの業種で想定される
4領域での活用

「量子コンピューターの適用が期待される領域は、現時点で、化学分野のシミュレーション、業界別シナリオのシミュレーション、最適解の抽出、AI(人工知能)や機械学習などが代表的な領域となっており、これらが業種ごとに異なる形で適用されます」と、西林氏は語る。

西林泰如氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
戦略コンサルティング
アソシエイト・パートナー

西林泰如

経営戦略コンサルタントとしての役割に加えて、量子コンピューティングの市場・事業開発に関わるコンサルタント、データサイエンティスト、デベロッパー、サイエンティストといった多様な人材からなる専門集団を配備したグローバル戦略組織(IBMの重点戦略組織)の日本全体を統括しており、様々な角度から企業の変革を支えている。

例えば、製造業。素材開発のための化学分野のシミュレーションに量子コンピューターを活用すると、素材開発のプロセスそのものが変わる。分子状態を詳細かつ高速にモデル化し計算機上でシミュレーションが可能になることで、製品開発サイクルが劇的に短縮される。これは現在、素材メーカーや製薬会社などが注目している領域だ。

金融では、これまでも金融派生商品の価格設定や投資リスク分析などにコンピューターが利用されてきたが、大規模なシミュレーションに関しても、量子コンピューターによって短時間でより精密な計算が可能になれば、少ないステップで最適解を得ることができるようになる。数日かかっていた計算が数時間に短縮されれば利益を拡大できる。

また配送ルートの最適化のように、莫大な組み合わせの中からの最適解を抽出するといったことも、量子コンピューターの適用によって効果が見込まれる領域だ。

「量子コンピューターの活用が比較的効果を発揮しやすいと見込まれる領域には共通の特徴があります。問題が明確で、それが数学的に定式化可能なこと、また、これまでも古典コンピューターで計算処理の試みが行われていることなどです」と西林氏。こうした領域を持つ業種としては化学、流通・物流、金融サービス、ヘルスケア、製造が挙げられる。これらの業種では量子コンピューターによって大きな革新が生じる可能性があると言えるだろう。

機会にも脅威にもなる
量子コンピューターの存在

では、企業経営者にはどのようなスタンスが求められるのか。西林氏は「機会と脅威の両方の視点を持って自社事業への適用の可能性を見極めることが必要です」と説く。量子コンピューターを適切に自社の技術ロードマップに組み込み、これまでのノウハウやアセットを強化することによって、他社と差別化する絶好の機会になる。

一方、新たな脅威をもたらす可能性もある。業種の垣根を超えた新しいビジネスの枠組みが生まれることだ。競合の仕組みや土台が急激に変化することで、従来の自社の強みが生かせなくなる可能性がある。本業における自社の強みをしっかりと定義した上で、最新の技術動向を把握しながら、量子コンピューティングの影響を見極めることが経営上重要になる。

「留意すべき点は後追い(フォロワー)のアプローチが有効に作用しない、ということです」と西林氏は警鐘を鳴らす。従来解決できなかった課題が量子コンピューターで解決されると、圧倒的な競争優位が生まれ、その企業の一人勝ち(競争優位の囲い込み)となる。「Winner takes all(勝者総取り)」の世界である。

「強いリーダーシップの下で継続的にITを活用した企業変革に取り組んでいる企業以外は大きなインパクトのある波に飲み込まれてしまうでしょう」と西林氏。スマートフォンの登場により、世界が一変したような大きな変化が一気に起きる可能性があるという。そこで先行者となれるかどうかが未来を分ける。

西林泰如氏

「継続的にITを活用した企業変革に取り組んでいる企業以外は、大きなインパクトのある波に飲み込まれてしまうでしょう」

4つのステップで
来るべき変化に備える

それでは、企業はどこから対応していけばいいのだろうか。

「企業としての対応は4つのステップが考えられます。まず量子コンピューターを検討する推進者を決めること。次にコミュニティーやコンソーシアムなどを活用しつつ最新動向をつかむアンテナの感度を高めること。3つめのステップとしては量子技術がもたらす経営上のインパクトを推し量り、ROI(投資利益率)やメリットを勘案して打ち手を意思決定する。そして最後のステップとして実証実験に臨んでいくことになります」(西林氏)。

アンテナの感度を高めるためのポイントは、技術職だけでなく経営企画部門や事業部門などからも人材を配備しておくことだ。量子コンピューティングの事業へのインパクトや適用の可能性を見極めるには、技術のみではなく事業部門も含めた様々な角度からの視点が求められるからだ。

もう1つのポイントは、量子コンピューターは様々な技術と連携しながら実装されていくことだ。古典コンピューター含め、機械学習やブロックチェーンなどの既存の技術と有機的に連携することで、新たなイノベーションが生み出される。

西林氏は「量子技術は必ずしも新規事業の領域のみに適用されるわけではありません。既存事業に適用することで最適化(改善)を図ることも可能です。様々な角度から検討することが大事です」と指摘する。そのためにも、多くのユースケースを理解することが求められるのである。

量子人材の育成が急務に

ユースケースを理解することは量子技術の本質を理解することにもなる。西林氏は「量子コンピューターの性能や、得意とする課題は日々変化します。その時点で実現が期待されるユースケースを把握することも必要になります」と話す。

そこで鍵を握るのが、人材の育成である。これまでのITの枠を超えた新たな人材の育成が必要だ。「量子コンピューターの着想は古典コンピューターとは別次元です。育成しておかないと人材獲得だけでなく技術のキャッチアップも難しくなります」(西林氏)。

人材育成のアプローチは大きく2つある。化学や金融工学の専門家など既存の技術者が量子技術を学ぶ技術人材の育成と、自社ビジネスへの量子技術の適用を見極めるためのビジネス層への量子技術の理解促進だ。西林氏は「IBMはこの両方のアプローチからサポートをしています」と2つの活動を紹介する。

1つはIBMが提供する量子コンピューターのプログラムを開発するためのオープンソースの開発支援フレームワークである「Qiskit」のコミュニティーだ。量子計算の学習方法から、量子コンピューターを使った実験やアプリケーションを簡単に設計するための様々なコンポーネントの提供、開発コンテストの実施などを通じて、量子人材の育成に取り組んでいる。またIBMでは量子コンピューター業界初の開発者認定資格を提供し、人材の育成に向けた取り組みの加速を支援している。

もう1つは「Quantum Ambassador制度」だ。IBM社内で専門性の高い人材を育成し、グローバルに認定を受けた人材だけが社外に対して量子技術促進の活動に取り組むことができる。正しい理解を広めようとする姿勢の現れとも言える。

ビジネス面と技術面、
両方からアプローチを

「今、最も注目しているのは、量子コンピューターの『技術の進化』と『事業的なエコシステム』両輪が同時に回り始めていることです」と西林氏は昨今の変化を語る。IBMの研究機関で生まれた量子コンピューターはこの5年で飛躍的に性能を向上させており、この先のロードマップも開示している。

進化した量子コンピューターの実機の日本での稼働開始をうけて、政界、財界、学界から期待のコメントが寄せられている。産学連携で社会実装を目指す「量子イノベーションイニシアティブ協議会」も設立され、様々な業界から企業が参画し、企業間、業種間の枠を超えたエコシステムが生まれている。

「量子コンピューティングの事業適用には、技術面とビジネス面の両面からの理解に基づいた取り組みが必要です。IBMには量子の基礎研究、ハードウェアとソフトウェアの開発を推進する技術力があります。また、業界の課題や量子技術が事業に与えるインパクトを理解し、様々な知識やスキルを持った研究者やコンサルタントがいます。量子時代がもたらす機会を生かした成長の実現に向けて、技術とビジネスの両面における課題解決に、お客様とともに取り組むことができればと考えています」と西林氏は語る。

量子コンピューターの活用はこれからだ。量子コンピューターが自社の事業にどう生かせるのか検討してみてはいかがだろうか。

IBMのビジネス・シンクタンクであるIBV(IBM Business Value)刊行のホワイト・ペーパー「The Quantum Decade - 来るべき量子コンピューティングの時代に向けて」の日本語版では、量子コンピューティングの概要から、海外での活用例、各業界ごとに期待される影響などを解説。

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西林泰如
日本アイ・ビー・エム株式会社 戦略コンサルティング アソシエイト・パートナー 兼 IBM Quantum Industry &
Technical Services Japan Lead

総合電機メーカーR&D、米国系戦略コンサルティングファーム・グローバル戦略部門を経て、IBMへ参画。専門はビジネスとテクノロジー両輪に関する、経営企画・経営戦略、事業開発・事業戦略、提携・投資/M&A、海外進出(米国シリコンバレー、シンガポールでの6年超の駐在)、情報通信・インターネット技術(日米120件超の特許筆頭発明)。IBMでは、戦略コンサルティンググループのアソシエイト・パートナーとして組織を率い、また、量子コンピューティング市場・事業開発組織(IBM Quantum Industry & Technical Services)の日本責任者を兼任する。IBMがリードする破壊的テクノロジーによる革新をテーマに、経営戦略・事業戦略、デジタル戦略、オペレーション戦略、組織チェンジ・マネージメント、テクノロジー・データ戦略のコンサルティング業務に従事。工学修士(MEng)、および、経営管理修士(MBA)。