村田将輝氏
提供:日本IBM
チェスの世界チャンピオンに勝利したスーパーコンピューター「Deep Blue(ディープブルー)」、自然言語で質問に回答する質問応答システム「Watson(ワトソン)」を送り出し、常にAI(人工知能)技術の先頭を走り続けてきたIBMがついに生成AIの世界に本格的に乗り出した。今年5月に発表された「IBM watsonx(ワトソン・エックス)」である。watsonxは他の生成AIとどう異なり、IBMはAIの世界でどのような戦略を描いているのか。日本IBM 常務執行役員 テクノロジー事業本部長 兼 AIビジネス責任者の村田将輝氏に話を聞いた。
――生成AIが大きな話題となっていますが、企業における生成AIへの期待と課題をどのように捉えていますか。
村田 多くの企業が生成AIの可能性に期待しています。特に経営者の期待は大きいですね。IBMが実施した米国のCEO(最高経営責任者)に対する調査では75%のCEOが「生成AIの有無が競争優位を左右する」と考えています。他の経営幹部との間にはギャップが存在し、組織としての準備が不十分で使いこなす自信がないという声も聞かれますが、新しい技術なので当然のことです。
課題は大きく2つあります。1つはポリシーやガードレールといわれる法的保護の側面です。生成AIを信じすぎてしまうと危険ですし、セキュリティーやデータ自体の問題もあります。もう1つは人材面。新しいテクノロジーが活用できる反面、生成AIに仕事を奪われるのではないかという心理的安全性の問題です。
――生成AIの用途としてはどのような領域が考えられるのでしょうか。
村田 現時点では、利用用途の多くは社内業務の改善にとどまっています。稟議(りんぎ)書のドラフト作成や社内情報の検索、コンタクトセンター向けのFAQや株主総会のQ&Aの作成などです。また、アプリケーション開発のためのコード生成の活用もあります。
これから社外向けの業務、顧客へのサービス提供やアフターケアなどで利用する場合に新たな問題が発生します。社内向けと異なり、企業にはその回答に対する説明責任が発生し、求められる要件が一気に厳しくなるからです。どの生成AIを使っているのか、ガバナンスはどうしているのかなどが問われます。
――各AIベンダーが開発している生成AIは、それぞれに違いがあるということでしょうか。
村田 生成AIチャットの成立プロセスを考えるとその違いがわかります。一般向けの生成AIチャットは、まず低品質で大量のデータをAIが学習します。これは人手によるデータのラベル付けを必要とせずに学習できる技術が開発されたことで可能になった学習方法がベースにありますが、これには有害な情報、プライバシーや著作権など法的に問題のあるデータも含まれる恐れがあります。
ここでつくられた「基盤モデル(大規模言語モデル)」と呼ばれるものを、AIベンダーが持つ独自データなどの高品質で少量の理想的な回答データを使って微調整したり、理想的な回答をした場合に報酬を与える報酬モデルAIを使ったりしてチューニングしていきます。どのようなデータをもとに回答しているかという「証跡」を管理できるようにし、説明責任を果たせるようにするのが目的です。
この「回答品質を高める追加学習のプロセス」には、データセットの用意やトレーニングするための人手が必要となり、生成AIチャットができるまでには膨大なデータ量と時間、コストがかかります。それに対してどう対応していくか、それがAIベンダーごとの生成AIチャットの違いになっていきます。
――IBMではどのようなアプローチを行っているのでしょうか。
村田 その答えが今回発表したビジネスのためのAIプラットフォーム「IBM watsonx(以下、watsonx)」です。その特徴は大きく4つあります。
1つ目は「オープン」であることです。「マルチ基盤モデル」という考え方を取り入れ、IBM独自の基盤モデル、お客様固有の基盤モデル、オープンソースの基盤モデルなど複数の基盤モデルを1つのプラットフォーム上で扱うことができます。
2つ目は「信頼できる」AIの実現です。透明性、説明性などの視点からデータや知的財産をライフサイクル全体で追跡し、有害情報やプライバシーの問題のあるデータを入口で押さえるなど、データをきれいにしたうえで、比較的サイズの小さなAIモデルでも正確な回答を得られるようにします。
3つ目は利用企業にAIを活用する「力を与える(提供する)」ことです。AIのユーザーではなく「AI価値創造企業」になるために、企業の独自モデルの構築と学習、チューニングや管理ができるプラットフォームを追求します。
そして4つ目は「対象が明確」になっていることです。一般利用ではなく、業界や企業が直面するビジネス課題を解決するためのエンタープライズ向けAIとして設計し、特定用途にスコープを絞り込み、専門性をAIモデルに組み込んでいきます。
――watsonxはどのような構成になっているのでしょうか。
村田 3つのコンポーネントから成り立っています。まずAIモデルのトレーニングや検証、チューニング、導入のための「watsonx.ai」と、あらゆるデータに対してAIのワークフローを適用するデータレイクハウスの機能を持った「watsonx.data」。この2つがシームレスに連携することにより、様々な基盤モデルで企業の独自データを活用できるようになります。
そして3つ目が、説明可能なデータとAIのワークフローを実現する「watsonx.governance」です。AIに対するガバナンスを確立し、AIのライフスタイル全体を管理します。
さらにこれらのコンポーネントは、稼働するプラットフォームを選ばないコンテナ技術によって開発されているため、オンプレミス(自社運用)でもクラウドでもエッジでも透過性を持って稼働させることができます。
――企業のAI活用をどのように支援していくのでしょうか。
村田 IBMの強みは、ビジネス戦略から業務プロセス、組織や人材、テクノロジーといった上流から下流まですべてのレイヤーでサービスが提供できる体制が整っていることです。また、IBMでは持続可能なAI活用を支えるために、コンピューター資源を有効活用するAI専用のチップの開発にも取り組んでいます。
提供できるサービスは様々です。AIモデルの構築と学習から、AI活用スキルの獲得、業務プロセスの刷新、倫理的なAIガバナンスの確立、セキュリティーの担保や出力内容の透明性の確保まで、ユーザーのAI活用を支援するサービスを提供していきます。
――AI活用をどう進めていけばよいか、ユーザー企業に向けたアドバイスをお願いします。
村田 膨大なデータ量、AIモデルの複雑度、必要となるコンピューター資源などの課題がブレークスルーされたことで生成AIが実現されました。AIは新しいコンピューティング時代の到来をけん引する技術要素の1つであり、AI活用は企業変革の大きなチャンスです。
今後、AIは企業活動のあらゆる場面で活用されていきます。弊社はこれまで培ってきたAI技術を駆使し、AIの信頼性と公平性、説明可能性を高めることにより、ビジネスにおけるAI活用を加速させ、新しい世界の実現に向けて貢献していきます。
ユーザー企業にはAIを活用することで自社の競争力を増幅させることができるAI価値創造企業になっていただきたい。そのためには経営者をはじめ、すべての人が利用してその価値を生み出していかなければなりません。IBMは皆さんのAI価値創造企業への挑戦に一緒に取り組んでいきたいと考えています。