薬剤耐性(AMR)の脅威が議論される中、新規抗菌薬の重要性がますます高まっている。国際的な協力の下で承認後の売り上げを保証する「プル型インセンティブ」を拡充する動きも進む。「第10回日経・FT感染症会議2023」2日目(10月17日)のランチセッションでは日本医療政策機構の乗竹亮治氏をモデレーターに、塩野義製薬が新規抗真菌薬のアジア独占販売権契約を締結したF2G社のジョン・レックス氏、虎の門病院の荒岡秀樹氏、厚生労働省パンデミック対策推進室長の竹下望氏が、創薬の課題、支援のあり方等、議論を深めた。
抗菌薬は、人々の安全性を保つために使われてきたインフラでありセーフティーネットだ。しかし耐性菌は着実に増え続けており、AMRがグローバルな脅威になってきている。AMR関連の死亡は2019年時点で495万人と報告されている。
抗菌薬は「細菌を殺すが、人体に毒性がないもの」であり、創薬が非常に難しい。探索研究から新しい抗菌薬の承認までには平均20~40年、コストは平均13億㌦かかる。さらに承認後のランニングコストが最初の10年間で3億5000万㌦、1化合物当たり成功するまでに平均17億㌦が必要だが、使用量ベースの収入ではこれらのコストは回収できない。耐性菌に有効な新しい抗菌薬の売り上げは年間2500万㌦以下が多い。米国の創薬企業では倒産や清算、売却などが近年相次いでおり、創薬した化合物の商業的な価値がほぼゼロになった会社も多い。
火事の際に必要な消火器と同様、AMRに有効な抗菌薬はたまにしか使われないが、存在することに価値があるものだ。
例えば1人が悪い細菌に感染しても、消火器のように抗菌薬で「火消し」をすれば周囲に伝播(でんぱ)せず、疾患や死亡を減少させ、社会に対するコストも低く抑えられるという価値を評価する必要がある。
こうした問題を是正して抗菌薬の価値を維持することに寄与するのが、「プッシュ型」と「プル型」のインセンティブだ。プッシュ型インセンティブには世界最大規模の官民パートナーシップであるCARB–X(薬剤耐性菌対策バイオ製薬アクセラレーター)などがあるが、日本政府は積極的に貢献しており、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)達成にも寄与する。プル型インセンティブは抗菌薬の承認後に使用に関係なく支払われるものであり、リスクに見合ったアワード(報奨)を与えることができる。
火事が起こってからでは遅すぎる。プル型への転換で、価値創造とスチュワードシップを結びつけることが大切だ。
2016年に最終報告版が発表されたAMRに関する「オニールレポート」によると、このまま何も有効な対策を立てないでいると、AMRによる死亡者数は50年には世界で1000万人を超えると推計されている。耐性菌の疫学状況は国や地域によって大きく異なる。日本は現時点では比較的落ち着いている状況だが、グローバルに人の流れが行き来する中で決して対岸の火事では済まされない。
近年、耐性菌として世界中で問題になっているのが「耐性グラム陰性桿菌(かんきん)」だ。米国感染症学会では23年、6種の耐性グラム陰性桿菌の治療戦略について解説したが、治療の最後の切り札となるべきカルバペネム系抗菌薬に耐性を示すなど、まだ治療が確立されていないものが多い。臨床現場でこのような菌が分離されて感染症の原因菌となった場合、治療の選択肢が非常に限られる上に死亡率も高くなる。特に免疫不全者は感染を起こすと病気の進行のスピードがとても速い。当然のことながら、効果のある抗菌薬を初期の段階で速やかに投与することが重要だ。また、耐性真菌感染症も緊急の脅威として北米で非常に大きな問題となっており、有効な抗真菌薬の開発が急務である。
しかし新規の抗菌薬開発は遅れており、カルバペネム系抗菌薬の発売からかなりの時間が経過している。米国では20年までに10種類という目標を立てた結果、10年から19年の間に13~15種類の抗菌薬が開発されたが、ほとんどの新規抗菌薬は収益にはつながらなかった。こうしたことから、ますますプル型インセンティブの重要性が高まっている。
厚生労働省は「薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン2023-2027」を取りまとめた。その中の抗菌薬確保支援事業で新たな抗菌薬への市場インセンティブの仕組みを導入し、約11億円の予算を確保し事業化している。背景には従来のプッシュ型インセンティブに加えて魅力的な投資環境をつくり、新規抗菌薬が継続的に上市される環境を構築することが重要だという認識がある。
21年の主要7カ国(G7)財務大臣会合では、市場インセンティブの支援に重点を置きつつ、幅広いオプションの検討が議論された。22年のG7首脳声明でも市場インセンティブを強調。国際的パートナーシップの下で新しい抗菌薬の研究・開発の強化が奨励され、米国・英国・スウェーデンが市場インセンティブの導入を検討した。わが国でも薬剤耐性菌の治療薬を確保するための具体的な手法を検討し、導入に至っている。そして23年5月のG7長崎保健大臣会合では、日本は抗菌薬開発を支援する21年のG7声明に基づくコミットメントを再確認し、プル型インセンティブに関する国際協力の可能性を探った。
抗菌薬確保支援事業は、国際保健に関する議論で主導的な役割を果たすため、市場インセンティブの事業への協力で生じる減収に対して一定額を国が支援し、抗菌薬開発を促す仕組みを実施するものだ。対象となる菌は、国際的にも重要な腸内細菌のカルバペネム耐性菌で、現在公募を行っている(10月17日時点)。新規抗菌薬の開発を促進し、耐性菌の治療の選択肢を確保すべく事業を継続していきたい。
乗竹新規の抗菌薬の開発に向けて、プル型インセンティブは単に創薬の視点のみならず社会保障全般や安全保障の視点からも重要であり、国際的なハーモナイゼーションと日本のさらなる貢献が求められている。日本でも厚生労働省などの尽力で、国内のプル型インセンティブがまずは第一歩として導入されたところだ。
レックス日本はCARB–XやGARDP(グローバル抗菌薬研究開発パートナーシップ)などプッシュ型インセンティブへの多大な貢献をはじめ数多くのアクションを起こしている。
プル型インセンティブについても、厚生労働省が新たな消火器として考えたが、さらに多くの取り組みがなされ、議論されていくことが重要であり、グローバルリーダーになることを期待している。
一方で米国では新規の抗菌薬を国が定額購買する「パスツール法」の議論が5年間続けられ、かなり時間がかかっている。まずは財務省と話をして「なぜ業界への支援が必要なのか」をよく理解して協力してもらうことが必要だと感じている。
竹下抗菌薬への耐性菌については長く語られている課題であり、臨床の現場でも徐々にクローズアップされて今後さらに大きくなるだろう。
企業の創薬支援はパンデミックの時にも他の疾患に対しても非常に重要な課題だ。少しでも早く多くの薬が上市されるための支援を引き続き進めていきたい。
荒岡もともと日本で開発された抗菌薬は非常に多いにもかかわらず流通が細くなり、海外の抗菌薬が日本に入るまでの時間が長くなっているという問題もある。臨床現場だけで声高に叫んでいてもなかなか解決しない。アカデミアや市民を巻き込んで問題意識を共有することが必要と感じている。
乗竹AMRやプル型インセンティブの重要性について、市民社会の意識がなかなか高くならない課題もある。
レックス「AMRに有効な抗菌薬は普段使わない消火器のように、非常時のために事前に用意しておくべきもの」などと、わかりやすいストーリーで誰もが関わる問題だと伝える必要がある。
竹下こういった取り組みに対してなるべく多くの企業が公募に参加し、成果を上げることが大事だと考えている。かつ目に見える形で成果を国民に理解してもらうプロセスが重要だ。
荒岡AMRの解決には医師だけでなく多方面からのアプローチが必要だ。臨床現場で困っていることを一つずつ解決しながら、若手にもシェアして仲間を増やしていきたい。