ブライトリングは2014年から室屋義秀さんの国内パートナーを務め、エアレースをはじめとする彼の多彩な活動をサポートしている。だから室屋さんの腕にブライトリングの時計があるのは当然と考える人も多いだろうが、じつは彼は同社のサポートを受ける以前から、このブランドの時計を愛用してきた。
彼が最初にブライトリングというブランドを強く意識したのは1995年。但馬空港(兵庫県豊岡市)で開催された曲技飛行の世界選手権「ブライトリング・ワールドカップ」を観戦に行ったときだという。当時の室屋さんは22歳。子供の頃から空を飛ぶことに憧れていた彼は大学でグライダー部に所属。20歳のときには単身アメリカに渡って飛行機操縦ライセンスを取得した。その後もアルバイトで資金をためてはアメリカで訓練をしてきたが、将来の進路については思い悩んでいたという。そんな時期にたまたま、この大会があった。
「そこで見た世界最高峰のパイロットたちのエアロバティックス(曲技飛行)に衝撃を受け、はっきりと目標が定まりました。“操縦技術世界一のパイロット”です。だから、ブライトリングはボクの進路を間接的に決定づけてくれたとも言える。ただ、当時のボクは高級時計には全く興味がなかった。その大会を見に行くまで、ブライトリングのことを飛行機メーカーだと勘違いしていたくらいです(笑)。こんな大会を開催する時計ブランドって、いったい何なんだろうと思って調べてみたら、航空業界と古くから密接なつながりがあって、パイロットにも愛用者が多いということを、そのときに初めて知った。そのあと偶然にも、ボクの姉が結納返しで旦那さんにブライトリングの時計を贈ったんです。そこで初めて実物をまじまじと見て、格好よさにしびれてしまった。そこからですね。ボクのブライトリング好きがどんどん嵩(こう)じていくのは」